♪唄を忘れた金糸雀は 後ろの山に棄てましょか
 いえいえそれはなりませぬ 
 …………
 唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に銀の櫂
 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄をおもいだす
(「かなりや」詞:西條八十、曲:成田為三、大正7年)

ひところ「童話」や「童謡」が残酷な話として解釈するということがブームになりましたが、この大正ロマンの香る「かなりや」もまた残酷な歌といえばいえる。

国内発送 アリスオリビアベルト付 プリーツ ワンピース ドレスは鳴かなくなったカナリヤを山に棄てたり、藪に埋めたり、柳の枝で打ち据えてしまおうか、というコワイ歌。もちろん、童謡なので最後に“助け船”を出すのですが。

日本では江戸時代から飼われているというカナリアですが、ペットとして人気になったのは、その黄色という色彩の美しさ。金糸雀とはうまい字をあてたもので、いかにも高価な小鳥のイメージがします。
そしてカナリヤのもうひとつの魅力はその鳴き声。その美しい囀りを聞きたくて飼う人も少なくなかったようです。

上にのせた童謡「かなりや」には、鳴き声を目的に飼育したのに鳴かなくなったのでは棄てるしかない、という人間の勝手な考えが透けて見えます。つまり役に立たないものは廃棄すべきだと。
実際、わたしが子供の頃この「かなりや」を初めて聞いたときは「棄てる」「埋める」「打つ」という歌詞に反応して、とても暗くてコワイ歌だと感じたものです。そんな非道いこと言わずにはじめから月夜の海に浮かべてやればいいのに、とまでは思いませんでしたが。

まぁ、人権意識が未成熟だった大正時代の歌ではありますが、人間という集団が構成する社会につきまとう「姥捨て思想」「棄民思想」という普遍的な問題を抱えているような(大げさだね)。

この西條八十の印象的なうたい始めをタイトルにしたのが長渕剛
「トンボ」を彷彿とさせるその「唄を忘れたカナリア」では
♪唄をわすれたカナリアよ 破れた喉を引き裂き
 真っ赤な血を吐き 突き刺すように 泣いてやれ!
とうたっています。

これは長渕お得意の“反逆のメロディー”。
世間から殴られ蹴飛ばされて縮こまっている若者に、立ち上がれ! 拳を握れ!と励ましています。カナリヤとはもちろん若者たちのことで、彼らが忘れた“唄”とは“怒り”であり“本音”なのでしょう。だからカナリヤは鳴くのではなく“泣く”のです。

童謡「かなりや」は今でも抒情歌として多くの歌手にうたわれています。
由紀さおりもそのひとり。そんな彼女にもうひとつカナリヤの歌があります。

それは「金糸雀(カナリア)」さだまさしが書き、昭和56年に「両国橋」のB面としてリリース。
♪あなたは男だから きっと解らないのでしょう 金糸雀はひとりでは生きていけないのです

恋人に別れを告げるために路地を通り彼の家へ向かう女性の心情がうたわれています。
歌詞の中に、彼女がプレゼントした金糸雀を彼が、「逃がしておやり」「自由に空を飛ばしてやれよ」というところが。
こういうあまりにも理解がありすぎえる男に不安やもの足りなさを感じ、彼女はきっと彼から気持ちが離れていったのでしょう。もちろん金糸雀とは彼女自身のこと。

じつはこの歌、十数年後にさだまさしが「金糸雀、それから……」というタイトルでメロディーはそのままに、詞を幾分変えてリメイクしています。
その変えた詞の中に
♪唄を唄えなければ 金糸雀ではないでしょうか
という部分があります。
これが童謡「カナリア」の「唄を忘れたカナリア」にダブルエクスポーズ。

ただイコールではなく、金糸雀は唄を忘れたのではなく、唄をうたえなくなった、あるいはうたわなくなったという違いが。
金糸雀にとって“唄”とは彼への思い、愛情ということになるのでしょうか。

この「金糸雀、それから……」のテーマは男への未練を残しつつも別れていく女ということで由紀さおりの「金糸雀(かなりや)」とまったく同じです。
しかし、前述したように詞は、登場するアイテムやシチュエーションなど、かなり変えられています。

たとえば、「旧作」では別れるために彼の家へ向かう彼女は途中、朝顔の種を買うのですが、「新作」ではたんに花を買うことに変えてあります。
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そのほかにもいくつかあるのですが、こういう詞の変更というのはめずらしく、その間の作者(さだまさし)の変化が読み取れてとても面白い。
ただそれを分析していくと話がいつまでも終わらなくなってしまうので、また別の機会ということで。ただ個人的には改訂版よりもオリジナルを支持しておきます。

「唄を忘れたカナリア」はたまgelato piqueルームウェアボーダープルオーバーピンク/ネイビーにも出てきます。
♪歌をわすれたカナリア 牛をわすれた牛小屋……
と韻を踏みながら不完全なものを並べています。この歌の場合、歌を忘れたカナリアを消去してしまおうとか、あるいは反対に再生させようとか、あるいは「それでもいいじゃないか」といった擁護のメッセージではないようで、ただ不完全なものが存在する事実をそのままをうたっているように感じられます。

カナリヤはご存じのとおり、ペットとして根強い人気がありますが、実は歌の世界でもその色味の鮮やかさでしばしば取り上げられているようです。
これは流行歌でも大事なことで、たとえば青空を舞うカナリヤの「黄色」、あるいは若葉の中の「黄色」、さらにはモノトーンの中に浮かぶ「黄色」など、色彩イメージとしてかなりのインパクトを与えます。

ペットとしての鳥類は犬猫ほど注目されませんが、流行歌の題材としては彼らをはるかに凌いでいます。そのなかでもカナリヤは、カモメと並ぶくらい多くとりあげられている鳥かもしれません。
「唄を忘れたカナリヤ」なんて比喩も詩的なのかも。そんな歌がまだまだあります。

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